« 憤らずにはいられない2 | Main | 関東大震災防備禄 »

June 06, 2005

浅川巧の日記

縁もゆかりも無かった山梨に引越してみて、良かったなと思うことは、ローカルニュースから知りえる興味深い情報
だ。

昨日の山梨ローカルで『白磁の人』映画化の話題が報道された。
小説『白磁の人』とは、山梨県高根町出身の浅川巧のこと。

この人、おそらく陶芸人または山梨県民以外には全く無名の人ではなかろうか?
私自身も初耳なのだった。

草風館 書籍の案内より

◆浅川巧小伝◆浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正3年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。安倍能成をして、巧の死を「朝鮮の大なる損失であることは勿論であるが、私は更に大きくこれを人類の損失だといふに躊躇しない」と言わしめた、42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮(文化)と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な人物が残した全資料を能う限り集めて一書とした。

年表はこちら
私の故郷である秋田県北部にも縁があると知ってますます興味が涌いているところだ。

実は浅川の朝鮮での日記が何年か前に山梨の故郷に韓国から戻ってきたのだ。
その日記には当時、朝鮮で浅川が直に感じた朝鮮と日本の関係がつづられているという。

『浅川巧 日記と書簡』高崎宗司編

■日記より■大正十二年九月十日 一体日本人は朝鮮人を人間扱ひしない悪い癖がある。朝鮮人に対する理解が乏しすぎる。(中略)[関東大震災について]自分はどうしても信ずることが出来ない。東京に居る朝鮮人の大多数が窮してゐる日本人とその家とが焼けることを望んだとは。そんなに朝鮮人が悪い者だと思ひ込んだ日本人も随分根性がよくない。
 よくよく呪はれた人間だ。自分は彼等の前に朝鮮人の弁護をするために行き度い気が切にする。今度の帝都の惨害の大部分を朝鮮人の放火によると歴史に残すとは忍び難い苦しいことだ。日本人にとつても朝鮮人にとつても恐ろしすぎる。
 事実があるなら仕方もないが、少なくも僕の知る範囲で朝鮮人はそんな馬鹿ばかりでないことだけは明かに云ひ得る。それは時が証明するであらう。

各レビューを見ると、編者のフィルターがかかっているようで少々残念だが、ちょっとネット注文して読んでみようと思っている。

復刻版『朝鮮陶磁名考』 浅川巧著 ←レビューは左旋回が酷いが、本自体は本人の著。これも読んでみたいけどお金が続かない。。。

|

« 憤らずにはいられない2 | Main | 関東大震災防備禄 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74279/4425769

Listed below are links to weblogs that reference 浅川巧の日記:

« 憤らずにはいられない2 | Main | 関東大震災防備禄 »