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October 21, 2005

祖父のこと その2

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8日からの連休に秋田へ帰省したので、暇を見つけて、祖父の満州時代を知る地元の自治会長さんにお会いした。
自治会長さん(以降、会長さん)と私自身は面識がなかったので、親に電話であらかじめ事情を説明してもらってからご自宅へ伺った。

初対面のうえ、そんな昔話を聞きたいなんて「随分変わった人だなぁ」という思いが、口には出さないものの会長さんご夫妻の顔に書いてあるようで、何だか申し訳なかったが、快くお話くださったご夫妻にあらためて感謝です。

以下、会長さんのお話を元に祖父がどうやって満州へ渡ったのか、祖父の行く方を推測してみた。

昭和2年生まれの会長さんは満蒙林業開拓団として昭和12年頃に満州へ渡り、天橋嶺[テンキョウレイ]の開拓村に一家で居を構えた。しばらく後に、顔見知りの同郷の人間(祖父のこと)が近くの図門(正式にはニンベンに門)[トモン]に居ると聞いたという。満鉄(満州鉄道株式会社)の鉄道員になった会長さんは図門に配属されたこともあり、懐かしくなって祖父に会いに出向いた。それが昭和15年~18年頃。

つましい満州風の自宅に会長さんを招いた祖父は、どうやら新婚の様子だった。新妻と幼い子と同居しており、若かりし会長さんは羨ましく思ったという。

秋田県の開拓村でもなく、しかも家族と同居していることから、祖父は地域の開拓団に応募したのでも徴用でもなく、単独でひと旗上げに満州に渡ったのだろう、というのが会長さんの推測だ。

ウチの親の話を補足すると、祖母は昭和14年秋に日本で父を出産した頃、既に祖父は満州に渡っており、どうも祖父には祖母以外の女性がいたようなのだ。もしかしたら会長さんが出会った満州の新妻は祖母とは別人の私の見知らぬ母子だったのかもしれない。ただ、その頃の祖父と祖母は確かに新婚だったし、祖母が父を出産後に満州に渡り祖父と同居してたという可能性も捨てきれぬ。。。
まぁ、父は満州に行った事など無いと言っているので、、うーーん、、、愛人さんの可能性は高い。

祖父は満州に渡る前、秋田で木製建具の製造を行っていた。その図門でも同様の仕事をしていたようだ。

当時の満州は物価が高く日本人の給与も本土の3倍の物価であったようだ。3倍の給料物価の満州で稼ぎ、すぐ側の朝鮮半島(当時は朝鮮半島も本土扱い)でお金を使えば、そりゃ裕福な暮らしが可能であったろう。

会長さんが昭和19年に秋田へ一時帰った時には、既に祖父は満州を引き払い、秋田に帰って生活を始めていたようだ。その時、どんな判断で祖父が帰国を決めたのか今となっては確かめるすべは無が、戦況の悪化を肌で感じ商売の先行きに不安を感じて帰国したのではないか、と会長さんは言った。

まとめると。。。

祖父の満州へ渡った理由は、当初私が勘違いしていた徴兵でもなければ、ウチの家族が言っていた徴用でもなく、

自分の意志でひと旗上げに満州へ渡った

というのが真相のようだ。そして、敗戦前に日本へ戻った。

私が意外に思ったのは、戦時中も自由に満州と日本を行き来し、徴用も徴兵も免れた祖父のような人間もいたということ。私たちは、当時は制約された窮屈な生き方しか出来なかったと思い込んでいるが、ある程度は自由度が有ったのではないだろうか?それとも祖父がたまたま運が良かったのだろうか・・・。

次にソ連兵と祖父とのイザコザについて会長さんに聞いてみた。

その話は次回。

【2005.10.21 modified】訂正・追記しました。追記箇所はアンダーライン部分。

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