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October 24, 2005

祖父のこと その3

次にソ連兵と祖父とのイザコザについて、会長さんに聞いてみた。。。

ソ連兵と祖父のイザコザとは、こうだ。

大陸に渡った祖父がソ連兵に銃を向けられ絶体絶命の窮地に陥ったが、ソ連の一般市民(修道女)が身を呈して助けてくれた、というお話。

私が幼い頃に祖父から聞いた話なのだが、今年の春に家族に聞いてみたところ、私の勘違いが次々と発覚。その〝勘違い〟とは、祖父を軍人だったと勘違いしたり、時期を終戦後と勘違いしたり。。。そして祖父はこのエピソードを私以外の家族には話していないようなのだ。つまり、私しか知らない話だったのだ。
このたび祖父のことを調べようと思い立ったのも、このイザコザが本当にあった出来事なのか、あるいはこの話の全てが私の勘違いなのか、その〝真実〟を知りたいと思ったから。

さて、会長さんへのインタビューを続けよう。

私は前述の祖父のエピソード(赤字の部分)を会長さんに話し、こんな事って有りうるのかと聞いてみた。

会長さんは「うむ・・」と納得したようにうなずき、話し始めた。

会長さんが満州に住み始めた直後の昭和13年頃、満州の治安は悪化していた。

会長さんの話に補足すると張鼓峰事件(日ソ軍事衝突)が発生したのが昭和13年。しかも張鼓峰の位置はロシアのポシエット湾と朝鮮の豆満江にはさまれた丘陵地帯、当時会長さんの開拓村のあった天橋嶺のすぐ下、そして祖父の住んでいた図門のすぐ東側である。すぐ近くで軍事衝突があれば、かなりの緊張状態でもあっただろう。

満鉄の各施設や開拓団が中国共産党の八路軍(匪賊)によって襲撃される事件が続発していたのだ。
八路軍の襲撃を防ぐために、開拓団の周囲は12尺(約4m弱)の高さで城壁のように囲い、自警団を組織して警戒していた。そして各家々には軍銃1丁が常備されていた。

会長さんも実際に襲撃を受け、小学校の裏の山に逃げ込んで一夜を明かしたそうだ。ちょうど季節は秋頃だったので、夜は冷え込み、暖を取るのに苦労したとのこと。

八路軍は、ひとしきり暴れた後、大抵は夜が明けると逃走していくらしい。いくら関東軍が追っても旧ソ連へ逃げられてしまうと、もう手出しが出来なかったという。

会長さんにいわせれば、彼らの目的は傀儡政権へのいやがらせ

(私の独り言・・・)八路軍といっても組織的な〝軍〟というよりは〝賊〟と呼ぶほうがふさわしい集団だったようだ。今でこそ有人ロケット大成功の中国共産党であるが、最初はこんなんセコい集団だったのよね。

この八路軍は旧ソ連で教育および訓練を受けており、ロシア人が八路軍に参加していることも充分あり得る、と会長さんは続けた。

(私の独り言・・・)・・・あるいは、祖父が『八路軍』と言ったのを私が『ロシア人』と聞き間違えた可能性もあるが・・・
どちらにしても、祖父が敵に銃を向けられるようなシチュエーションは充分すぎるくらいあったのだった。

そして、祖父を助けてくれた女性(修道女)については、会長さんはこう話してくれた。
八路軍といえども「幼い子を含む家族持ちを見逃してやってくれ」という多勢の声(声の正体がよくわからなかった)があれば、それに抗し切れなかったのではないか。また、祖父の居た図門から満鉄で西に向かえばハルピンというロシア人の街があり、図門を経由して旧ソ連とハルピンを往来するロシア人が多かったので、図門にロシア人の修道女が偶然に居た可能性は高い、とのこと。

会長さんの話を聞いて、祖父の話は裏づけは難しいが実際に起こりうる話である、ということがわかって良かった。。

戦場ではなかったものの、私が想像していた以上に祖父たちが住んでいた満州東北部は緊張状態であったのだ。

以上が会長さんのお話。非常に興味深い話の連続で、面白かった!

「秋田へ帰省した折にはまたおいで」と言われ、気をよくした私は、また来年の夏におじゃますることにした(笑)

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