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June 11, 2005

今この瞬間気になっていること

週の後半はアレコレ立込んでいてエントリにまとめる時間がない(泣)
そこでyasukichiさんのブログの真似をして、記事にしたいくらい気になってることを挙げてみる。

・チャイナスクールって何だ?最近の政治家の中国詣でを知るにつけ気になる。
・連日の「靖国参拝はダメ」というニュースは何か変?
・「浅川巧の日記」が描く日本統治下の朝鮮。悲惨さとは程遠いのはなぜ~。
・NHKは「嫌韓」が大多数のアンケートを本当に番組にできるのか?
・我が「拾い猫日記」は政治系ネタが多すぎやしないか?

ちなみにチャイナスクールとは学校ではありません。念のため。

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June 08, 2005

やっほほ〜い♪(携帯)

やったあ!日本代表W杯出場おめでとう!
いやーほっとしたよ。

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June 07, 2005

関東大震災防備禄

昨日の浅川巧のエントリで関東大震災近辺の日記を引用した。

注文した本が配達されるまで1週間くらいかかるということなので、予め関東大震災の朝鮮人虐殺事件について予習しておこう。

【当時の報道】←浅川巧も『ほんと?』と疑ってかかった朝鮮人の暴動報道
『朝日新聞を購読しましょう』さんサイトより

大阪朝日新聞、大正12年9月3日号外
目黑と工廠の火藥爆發
     震源地は太平洋にも
【早川東朝社員甲府特電】
▼朝鮮人の暴徒が起つて横濱、神奈川を經て八王子に向つて盛んに火を放ちつつあるのを見た
▼震源地は伊豆大島三原山の噴火と観測されてゐるが他に太平洋の中央にも震源があるらしい
▼砲兵工廠は火藥の爆發のために全燒し目黑火藥庫も爆發した

大阪朝日新聞、大正12年9月4日
各地でも警戒されたし
   警保局から各所へ無電
神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると、内務省警保
局では朝鮮總督府、呉、佐世保兩鎭守府並に舞鶴要港部司令官宛にて
目下東京市内に於ける大混亂状態に附け込み不逞鮮人の一派は随所
に蜂起せんとするの模樣あり、中には爆彈を持って市内を密行し、又
石油鑵を持ち運び混雜に紛れて大建築物に放火せんとするの模樣あ
り、東京市内に於いては極力警戒中であるが各地に於いても嚴戒された
しとあつた。

上記の新聞記事「朝鮮人の暴動」については『デマ』というのが現在の通説。念のため。

【当時の日本人の実際】
母が語る20世紀 4.関東大震災さん

 陸軍戸山学校の裏に2万坪もの広大な竹藪があり、父の住まいは竹藪の地続きにあった。余震が怖かったので、何日間も竹藪で野宿をしたという。あちこちで発生した火災は、「朝鮮人が火をつけたから」の流言が飛び交い、戸山学校の竹藪に、朝鮮人が籠もっているという噂まで出た。父は、竹槍を作る作業に励んだ。これで朝鮮人を突き刺すのだと、当時は本気で考えていたそうである。


【実際の朝鮮人被害規模】
愛・蔵太のきままな日記さん

結論としましては、

1・朝鮮のかたが「定説」としている6600人説はいささか根拠があいまい。細かく数字を見ていると、怪しいデータが多いうえ、総合計は単純計算でも合わなかったりする。実はこれについて資料を見てみるまで、俺はこの数字というのは、ニューヨークのテロの犠牲者や阪神大震災の被害者のかたがたと同じように、「ちゃんとした固有名詞」まで挙げられた上での虐殺被害者数だと思ってました。皆さんも多分そうでしょう。

2・ただし、2000名前後のかたがたは虐殺されただろう、という推測が私的には成り立ち、その虐殺者の多くは自警団ではなく警察・軍隊だった、という目撃証言もある(目撃証言以上の証拠が存在するかどうかは不明である)。

3・教科書などの教育目的の記述としては、「関東大震災では朝鮮人が、日本人の自警団により300名以上虐殺された。また警察・軍隊などによりその数倍にも及ぶ犠牲者が出たという目撃者の証言などもある」とするのが正しいように思われる。

というところでしょうか。

憶測や予想ではなく、限りなく客観的な資料というのは入手が難しいねー。上記のようなお宝記事はなかなか発見できないな。

「朝鮮人の暴動」デマが何故起こったかについても
(注)以下の事柄は単にネット上から拾ったもので事実かどうかは確認してないです。ごめんね・・・

この機に乗じて共産主義者を叩くための政府の謀略だった
とか
火事場泥棒化した朝鮮人も事実いた(前述、愛・蔵太さんのエントリ中の引用参照)
とか
もともと一部不良朝鮮人のせいで朝鮮人への不信感があった(前述、愛・蔵太さんのエントリ中の引用参照)
とか
朝鮮半島での独立運動が日本人の不安を煽った(ソース紛失。スマヌ・・・)
とか、、、
色々な見解が見られた。

いやー、歴史の授業からでは想像もできないくらいの意見があるよ。驚き~。
今日はこれらを追うので精一杯。正直、ギブ。
蔵太氏はすげぇーや。

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June 06, 2005

浅川巧の日記

縁もゆかりも無かった山梨に引越してみて、良かったなと思うことは、ローカルニュースから知りえる興味深い情報
だ。

昨日の山梨ローカルで『白磁の人』映画化の話題が報道された。
小説『白磁の人』とは、山梨県高根町出身の浅川巧のこと。

この人、おそらく陶芸人または山梨県民以外には全く無名の人ではなかろうか?
私自身も初耳なのだった。

草風館 書籍の案内より

◆浅川巧小伝◆浅川巧は明治24年(1891)山梨県北巨摩郡甲村(現・高根町)に生まれ、農林学校を出て、大正3年、兄伯教のいる植民地朝鮮に渡った。朝鮮総督府農工商部山林課の林業試験場に勤務しながら朝鮮人と交わる。禿げ山の多い朝鮮の山を緑化するために土壌に合った樹木の研究・育成に努める合い間に、朝鮮の民間の工芸品(のちに柳宗悦により「民藝」と称される)の価値を発掘し、柳とともに朝鮮民族美術館を設立する。乏しい給料から朝鮮人の子弟に学資を人知れずに援助したり、民間の忘れられている工芸品の名称や地方の陶磁器の窯跡を探索する行為は、「清貧に安んじ、働くことを悦び、郷党を導くに温情を以てし、村事に当つて公平無私」(浅川兄弟の祖父)だった類い稀な日本人であった。安倍能成をして、巧の死を「朝鮮の大なる損失であることは勿論であるが、私は更に大きくこれを人類の損失だといふに躊躇しない」と言わしめた、42歳の短い生涯を閉じたが、墓地に埋葬する際に村の多くの朝鮮人に担がれて運ばれた。植民地下の朝鮮に生きて、朝鮮(文化)と朝鮮人を愛し、また朝鮮人からも愛された希有な人物が残した全資料を能う限り集めて一書とした。

年表はこちら
私の故郷である秋田県北部にも縁があると知ってますます興味が涌いているところだ。

実は浅川の朝鮮での日記が何年か前に山梨の故郷に韓国から戻ってきたのだ。
その日記には当時、朝鮮で浅川が直に感じた朝鮮と日本の関係がつづられているという。

『浅川巧 日記と書簡』高崎宗司編

■日記より■大正十二年九月十日 一体日本人は朝鮮人を人間扱ひしない悪い癖がある。朝鮮人に対する理解が乏しすぎる。(中略)[関東大震災について]自分はどうしても信ずることが出来ない。東京に居る朝鮮人の大多数が窮してゐる日本人とその家とが焼けることを望んだとは。そんなに朝鮮人が悪い者だと思ひ込んだ日本人も随分根性がよくない。
 よくよく呪はれた人間だ。自分は彼等の前に朝鮮人の弁護をするために行き度い気が切にする。今度の帝都の惨害の大部分を朝鮮人の放火によると歴史に残すとは忍び難い苦しいことだ。日本人にとつても朝鮮人にとつても恐ろしすぎる。
 事実があるなら仕方もないが、少なくも僕の知る範囲で朝鮮人はそんな馬鹿ばかりでないことだけは明かに云ひ得る。それは時が証明するであらう。

各レビューを見ると、編者のフィルターがかかっているようで少々残念だが、ちょっとネット注文して読んでみようと思っている。

復刻版『朝鮮陶磁名考』 浅川巧著 ←レビューは左旋回が酷いが、本自体は本人の著。これも読んでみたいけどお金が続かない。。。

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