ヤマト言葉は大事にしたいね
『ヒロさん日記』の「かんじに「こだわる」のはホドホドにしませんか?」 にインスパイアされて当エントリーを書く。。
『ヒロさん日記』のHiro-sanが言うように、漢字は文字そのものに意味を持っているので短い表記でニュアンスを最大に伝達できる便利さはある。
(例)
「パンチラを見た」(パンチラを目撃した)
「パンチラを観た」(パンチラを観賞した)
「パンチラを看た」(パンチラさん≪固有名詞≫を看護した)注:2例目まではヒロさん日記より引用。3例目はkits創作。
Hiro-sanは、漢字とカナのバランスをさじ加減することで文章の個性が引き出せる日本語の特異性を言っているのだ(と思う)が、そういう自由度の高い日本語なのだから、わざわざ支那の差別意識あふるる『邪馬台国』とか『卑弥呼』を漢字表記しなくたっていいでない?ということにも触れている。
弥生時代の〝邪馬台国〟も〝卑弥呼〟も、もともとは中国の文献『魏志倭人伝』などによるもの。
、んで、随分前の『兼高かおる世界の旅』という番組で邪馬台国をテーマにしたことがあり、その放送内容が結構衝撃だったので憶えているんだけど、
その番組によると、、、
当時の支那では『邪馬台国』とは『邪馬台の国』という意味での記述であり、
当時の支那の発音で『邪馬台』は「ヤマトゥ」または「ヤマタゥ」と発音。そして『卑弥呼』とは『卑弥のコ』、つまり『卑弥+(女性敬称)』という意味であり、
当時の支那の発音では『卑弥』は「ヒメ」に近い発音をするという。言葉の異なる日本からの使者の話しを聞き取るのだから、
日本側の発音
↓
支那側のヒアリング
↓
支那側が発音に近い当て字で記述という流れの中で
日本側が「ヤマトのヒメ」と発音したのを、
支那側が「ヤマタゥ国のヒメ女王」という意味に受取り、
結局、支那の歴史書には「邪馬台国の卑弥呼」という記述になった、
、、、とTV番組『世界の旅』は主張するのだ。
漢字の介在によりヤマト言葉の本来の意味が無くなってしまった典型が『邪馬台国』および『卑弥呼』なんじゃないのか?な。
びーちぇさんのブログ『ヲシテのクニ』では、ヤマト言葉本来の滋味あふるる意味合いが漢字に置き換わる事により無くなってしまった例が紹介されているが、今一度、ヤマト人のルーツを漢字抜きで探ってみるのも良い機会だ。
≪びーちぇさんのブログ『ヲシテのクニ』より≫
カミ・・・「祖」に近い意味合いであり自分の因って立つ処。「神」とは異なる。
タマシヰ・・・「タマ(大自然、宇宙)」+「シヰ(この世、地球)」であり、親の「タマノヲ(遺伝子とか縁)」により「タマ」と「シヰ」が結ばれる。死ねば「タマ」は宇宙へ「シヰ」はこの世へ還元する。漢字の「魂」とは異なる。参考までに、
ヤマトクニ・・・「ヤ(強調)」「マ(真)」「ト(法)」。つまり法の精神によって実によくまとまったクニ
kitsの別館ブログ『Goodfinds』で「オランダせんべい」をご紹介中だ。
「オランダせんべい」の名前は2重の意味があり、
(1)「オランダ、つまりサラダ味(塩味)という舶来の味付けの斬新なせんべい」
という意味と、
(2)「おらんだ、東北弁で〝俺達〟のせんべい」
という意味がある。
もし東北弁が人々から忘れ去られたら、上記(2)の意味も消え去ってしまうのだろう。
まじ、へこむ。
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