kits.cocolog-nifty.com > dessert_list

ほうじ茶
ホットワイン Vin Chaud
Gateau aux Chocolat Franboises
フルーツパウンド クリスマスバージョン
フィナンシェ Financiers
朝食を作ろう!4 ~サモサ~
ミルリトン Mirlitons de Rouen
ココナッツタルト
地粉のパン
そば粉の蒸しパン
メレンゲ Meringue
ガナッチョ
旧デザートリスト 2005年
旧デザートリスト 2004年
旧デザートリスト 2003年
旧デザートリスト 2002年
旧デザートリスト 2000年
旧デザートリスト 1998年
旧デザートリスト 1997年

<< 前 | トップページ | 次 >>

ココナッツタルト

ココナッツタルト

2005/06/12

2005.6.21 加筆・訂正

■■■kits kitchin(kitsのホームページ)へ戻る■■■

photo ... kits
cooking/styling ... 祐成陽子クッキングアートセミナー


日中関係が何時になく緊張状態にあるが、今回のSWEETSは中華料理の点心なのだ。
横浜の中華街などの中華菓子の売店で売られているココナッツタルトが今日の主役。

『タルト』という名前からも分かるように、この中華菓子にはヨーロッパの影響が色濃く現れている。それは香港がイギリス領であったこと、マカオがポルトガル領であったことと大いに関係がある。

マカオとポルトガル、香港とイギリス。
この関係を紐解くと『茶』をキープレイヤーとする興味深い歴史が浮かんできた。

【大航海時代とアジアの茶 ~~欧州デビュー~~】
ポルトガルとマカオの関係は16世紀始めまでさかのぼる。そして、日本を含むアジアとの交易の拠点となっていく。主に中国と他国との仲介貿易でマカオは栄えたようだ。
ヨーロッパ諸国に先駆けてポルトガル人が初めて中国人の喫茶習慣に触れ、日本で『茶道』に触れ、東洋の『茶』というもの知る。ついにはマカオで手に入れた茶をヨーロッパに初めて持ちこんだのもポルトガル人だった。

一方、香港は17世紀末に始まったイギリス東インド会社との交易が後の運命を決定付ける。
イギリスと香港は『茶』を絡めながら、切っても切り離せない関係になっていくのだ。

面白いことに、1661年、イギリス国王チャールズ2世にポルトガル王家のキャサリンが嫁いでくるのだが、彼女は嫁入道具として、中国茶、茶道具、大量の砂糖、インドのボンベイ領などを持参した。彼女はイギリス貴族階に喫茶の習慣を紹介したのだ。彼女は「ひとりぼっちのお茶」というフレーズが有名なほど孤独な王女だったのだが、彼女の孤独が象徴するかのように、イギリスとは対照的にポルトガルとマカオは次第に力を失っていく。

【イギリス産業革命と茶の浸透 ~~世界史の舞台へ~~】
そして1702年、食通・お茶好きアン王女の誕生とともにイギリスでの『喫茶』は『シノワズリー(中国趣味)』の流行を背景に貴族階級のステイタスシンボルとなり、以降、産業革命により豊かになった庶民に徐々に浸透していく。

1834年、イギリスでの中国茶輸入の自由化がイギリスでの茶の爆発的消費を生む。それがイギリスから中国への『銀』の流出を急増させ、1839年のアヘン戦争へと続いていくのだ。この結果、中国(当時は清)が敗れ、香港はイギリスへ割譲される。

【イギリスの富と植民地拡大 ~~再びアジアへ~~】
大英帝国の栄華ここに極まれり、だ。
世界中の富がイギリスに集中していった。その富を背景にインドやセイロンの植民地を開発し、イギリスの国産紅茶(イングリッシュティー)の生産に尽力した。

特筆すべきは、この時期に繁栄と豊かさの象徴『アフタヌーン・ティー』が発生する事。女主人が在宅で催す公的なお茶会、いわゆる『ヴィクトリアン・ティ』と呼ばれるものだ。ちょっと話がずれるが、この女主人主宰のお茶会が誕生する背景には、街の女性禁制の「コーヒーハウス」への反発があったようだ。

『ヴィクトリアン・ティ』の原則は下記3点。

(a)イギリス製の茶道具一式を使った優雅なテーブルセッティング
(b)多種類の豪華なティー・フーズ
(c)中国茶を準備するが、主として英国帝国紅茶(インド・セイロン産)をミルクティーで楽しむ

実は上記の『ヴィクトリアン・ティー』は中国の飲茶を模しているという説がある。
『飲茶』にたどり着くまでに、長々と書いてしまった(笑)。

『ヴィクトリアン・ティー』のティー・フーズには細かい決まりがあり、
まずは「パイやタルト」、焼き立て「スコーン」、パンケーキに似た「クランペット」、「数種のクッキー」、「フルーツケーキやパウンドケーキ」、「一口サンドイッチ」を全て手作りを用意せねばならない。

イギリス領であった香港でも当然『ビクトリアン・ティー』は行われたはずで、そのティー・フーズが逆に中国の飲茶に取り入れられ、『ココナッツ・タルト』や『クッキー』など西洋風の点心が発生する一因であったと推察するのだ。

【まとめ】
『ココナッツ・タルト』から過去を遡ると、色んな面白い事が分かってくる。
<貴族の時代>大航海時代にアジアの茶がヨーロッパへ渡り貴族のステイタスとなる
     ↓
<庶民の時代>産業革命がイギリスの庶民層の『茶』需要を引き出す
     ↓
<大英帝国の躍進>それがアヘン戦争を引き起こし、その結果、香港はイギリス領となる
     ↓
<富の蓄積>植民地を拡大し、その経営に成功したイギリスの富を背景に優雅な喫茶文化が確立し、香港でも浸透していく
     ↓
<植民地とミックスカルチャー>その過程で点心にも西洋風が取り込まれ『ココナッツ・タルト』は誕生した

たかがお菓子と思う無かれ。その背景に世界史を背負っているのだ。


■■■kits kitchin(kitsのホームページ)へ戻る■■■

固定リンク